有言実行を掲げる国際看護師みーやんのblog

英語力0から始めた国際人への奮闘 オーストラリアで看護師になるまでの波乱万丈の旅路と日常 をえがく

英語力0 での葛藤

Hello everyone! こんにちは!

 

有言実行を掲げる国際看護師ことみーやんです!

 

最近こっちはメッキリ寒くなって・・・といっても朝晩が8度とかになるだけなんですけど、

 

雪国育ちの私にはこの中途半端な寒さがなんとも好きになれない。

 

分かるかな?

 

私は岩手出身なんだけど、冬は大体日中でもマイナス。

 

朝晩はマイナス10から15度もざら

 

そのくらい寒いと もうあきらめがつくというか

 

あったかい恰好して

 

ピリピリする寒さをこらえながら雪遊びをするっていうのが私の子供のころの日課だったわけなんで

 

この中途半端な寒さ 風がぴゅーぴゅー吹いて底冷えする感じ・・・

 

東京もそうだったな。。。

 

あまり好きではない。雪が恋しい。

 

さて

 

本題に入ろうと思う。

 

今回は私が英語0で行ったカナダでも葛藤とその乗り越えかたについて話したい。

 

 

1) 私の英語レベルとカナダの語学学校

以前もしつこい位話したが、今は英語を使って看護師をすることができるくらいの英語力がついたわけだが

 

私は最初から英語ができた方かというと全くそうではない。

 

英語は自分の得意科目でもなく

普通の高校へ行き、25歳でカナダに留学するまで、どこにも留学したことがなかった。

しいて言えば海外旅行は大好きで年に一回海外旅行をするくらいで、

だからと言って旅行英語も特に堪能ではなかった

 

カナダに留学した時の英語のクラスのレベルはElementry (超初級クラス)だった。

 

ようはThis is a pen! This is an apple! から始めるという状況だった。

最初に覚えた言葉はI'm lost...

なぜかというとバスの乗り方もままならなかった私。一番最初に住んだカナダのブリティッシュコロンビア州にある町、ウィスラーはビレッジと呼ばれる繁華街...(と言っても1時間くらいで歩き回れるくらいの小さなコミュニティーなのだが)に学校やカフェなどがあって、そこからバスに乗ってホームステー先の住宅地に帰る。。というのが一般的。

そしてそのバスは日本の様にバス停に名前があってお知らせしてくれるわけではなく、自分で窓の外を見て 降車を知らせるひもを引くシステムなんだが、最初のころ家が全く分からず、よく間違ったところで降りては迷子になる。。。を繰り返していた。

英語で聞くにも聞き方が分からず、聞き方が分かるようになったけど 教えてもらっているのに何を言われているか分からず。。。というどうしようもないレベルだった(;'∀')

 

私の行った語学学校はウィスラーというスキー・スノーボードで有名な場所にあり、特にヨーロッパからの留学生が多く訪れていた場所でもあった。

 

なので、学校は小規模(4クラスしかない)が60%がヨーロッパ系の人(フランス、ドイツ、スイス、スペイン、チェコ、イタリア etc..)で、共通言語はもちろん英語なのでそれが話せなければコミュニケーションが取れないわけ。そこには日本のスノーボードの学校が併設されており、そこの学生も英語のクラスを一緒にとっていた。なので、緊急時は話そうと思えば日本語で色々聞くこともできた。

 

しかしもちろん留学をしに来てるのだから、いつまでも日本人に頼っていてはいけないと、English only policyを貫いていた。

 

2)どんな失敗や葛藤があったか

・文化の違い「遠慮」の精神。

言葉の壁ももちろんだが、ホームステー先のママが 

You can eat anything you want! Just pick what you want from fridge for your lunch! と言われ

その当時 え?なんでもって何?100%理解していなかったのに合わせ

そんなに人の冷蔵個空けて勝手にとっていけないと思ってしまい、最初の1.2週間お昼にリンゴ一つだけとか パン一切れにジャムとかもない とか

それはもうヒモジイ思いをした。

それを見かねたほかの

日本人の留学生に言われたのは

「好きなものをとってもいいって言われたなら なんでもとってもいいんだよ。遠慮なんて概念がカナダにはそんなにないから」

「分からなかったら聞いたらいいし」

・・・Well ・・・聞いたらいいしっていったって聞き方が分からないわ――――!!!

 

みたいなw

でも、徐々に聞き方を勉強して、紙に書き、頭で何度もイメージトレーニングをして

家に帰ってから何度も何度もロボットのように繰り返して、聞けるようになったんだけどw

その家にはナニーと呼ばれるお手伝いさんがいて夕飯は大皿にドーンと野菜やら料理を出して、自分で自分の好きなくらい自分のお皿に乗せるような形で夕食が進む。最初のころは なかなか自分が好きなくらいとることができず、少しずつとってはそこでもお腹を空かしていた。

 

(最終的には段々慣れてきて沢山食べるようになって太ってしまったわけなんだけど・・・(-_-;)

・英語に伸び悩む

カナダに来てから3か月 全く英語の下積みがなかったせいか、スポンジのように吸収して、すらすらと伸びていった。。が。。。

ある時期を過ぎるとまたスランプ。全く自分の英語が相手に伝わらない、もっと話したい事沢山あるのに説明できない。あの単語もこの単語も分からないと思い、成長が止まてしまったかのように思えた。

ウィスラーの学校は小さい学校だったため、超初級、初級、中級 上級というくくりしかなく、中級まで上がったはいいが、上級クラスと中級のギャップがかなりありすぎで ドイツ人と政治についての討論なんてできないし どうにかしなくてはと悩んでいた。

 

その時学校の先生に言われたのは、

English learning process is like stairs.

要は ある一定期間上がってもそこで平な部分があって。。。成長過程はその繰り返しなんだよと言われた

 

そういわれてでもこの平な場所から這い上がるにはどうしたらよいの?

このまま同じレベルでやりながら時を過ごすのか?何か新しいことに挑戦するのか?

 

出した答えは

ウィスラーの学校からバンクーバーの姉妹校への転校であった。

・喧嘩がうまくできないもどかしさ

バンフでハウスキーパーの仕事をしていた時、ホテルで働いていたすべてのハウスキーパーが同じ家で仲良く住んでいた。それはもう国際色豊かで 結構ハードな仕事だったのにも関わらず、仕事の後にはビールで乾杯しながらBBQしたり、毎週みんなでクラブで踊り明かしたりと、それはもう楽しい日々だった。


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それでも、問題がないわけではなくかった。

一番困ったのは 汚いのが平気な人。私は特にきれい好きな方とかではないと思っていたが、海外に来て私の衛生水準は高いことに気づく。

 

私以外の住人ほとんどが食器を普通にシンクにためて一週間放置とかざらにある。最終的に使う皿がなくなるくらいためていて、それにどうしても我慢できなくなる私が皿洗いをする。きれいになってて「あ みーやんがやったの?べつにやらなくてよかったのに」と普通にいう。

「は?!」そこはありがとうじゃないの?...みたいな。

お皿はすぐに洗ってほしいとお願いするが、分かったといいつつ放置。そういう時、どうしてもうまく反論できなくて 反論するエネルギーを無駄にするくらいなら 自分でやるか。。といつも諦めていしまっていた。今ではそんなことはないが、そういう 小さいもめごとで なかなか自分の意見が言えず悔しい思いを良くしたものだ。

3)どんなメンタリティーを保つようにしていたか

・飲み会には100%参加

元々社交的な性格でもありお酒も好きだったので、学校で企画される飲み会やクラスメートが主催するようは宅のみ的なものには必ず参加していた。

もちろん無理やり参加をする必要はない。

でも、お酒の力と、それによる解放感から英語ができないながらも 間違ってもいいや!という気持ちで話すことができた。

この考え方はお酒が飲めない人でも試してほしい事で、完璧な英語を話す必要はない。まずは何かを伝えたいという気持ちが大事だという事。そうやって話していくうちに、頭で先に考えるのではなく、体が、言葉が自然に出てくるようになるのだ。

 

・日本人/日本語をできるだけ避ける生活

この考えはよくも悪くもあると思うのだが、私は当時、海外にいて日本語を話しては今まで積み上げてきた英語の知識がすべてなくなってしまうのではないかという気がして、日本人、日本語を避けるようになっていた。

と、同時に、当時インターネットもあまり今ほど普及していなく、ラインやスカイプもフェイスブックもないに等しい時代だったため、家族との距離も離れるばかりであった。

今思うと 何をやっていたのだ!親不孝ものめが!と克を入れたくなるが、私にはそのくらいのストイックな手法が必要だったんだと思う。

 

バンクーバーに移動した時、現地のカナダ人とかかわる場所を確保するために、シェアハウスはカナダ人の家!と決めて家探しをした。学校では日本人は沢山いたものの、日本人にも英語で話すようにしたり、他の国の留学生とつるんだり・・・できるだけ英語環境を作るように勤めた。

 

その時は周りの日本人学生には「同じ日本人なのに英語で話しかけてくるおかしい お高いやつ」と思われていたが自分の意思は固かった。

今だから 同じ文化で育ち、集団行動、協調性を大事にする日本人の友達って 自分が多くを語らなくても分かり合えるすごく大事な存在だと思うし、そういう人がいるといないとでは全然心のよりどころがあるという点で欠かせないものなんだとい事は言えるけれど、当時はそんな余裕がなかったな。。

 

・スタックしたら新しいことに挑戦する

新しい事好きの自分というのも手伝ってこの英語の成長過程で全文でもいった階段の平らなところにきてしまってもどかしい気持ちをしている時の解消法

それが新しいことに挑戦する。という事。

 

ウィスラーからバンクーバーへ移動したのも、語学学校の規模が大きく色々なレベルにあった勉強ができると思ったから。

その語学学校で普通の英語クラスから大学準備コースをとると決めたのも 何か挑戦したかったから 

バンクーバーからバンフへ移動したのも、インターシップのプログラムで英語を使っての仕事を経験したかったから

そしてハウスキーピングの仕事を辞めスキー場での仕事を探そうと思ったのも もっと接客業で会話力を高めたいと思ったから

 

とにかく、何かにつまずいた時、行き詰っている時には新しいものに挑戦してみるといいかもしれない。私にとってはそうすることで、ぬるま湯にずっとつかれないような環境を自分で作っていたのかもしれない。


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・完璧な英語を目指さない

完璧な英語を話さなきゃ!とか間違ったら恥ずかしいとか思って話すことを躊躇してしまうことが一番危ない道な気がする。

お酒が入っているときのいいところは 大胆な気持ちになってなんでもいいから話しちゃえ!という気になる。

それにつながるのだが、完璧な英語を話すことにこだわらず、まずは話しみる。練習してみる。言葉に出してみる。という気持ちがあったから 相手に首を傾げられても、もう一回違う言い方で言ってみるとか 度胸が育った気がする。

 

もちろん、ある時期になると、間違った英語では通用しなくなるので、大学入学後などの論文やプレゼンテーションの時に苦労するのだが、それはもっと先の話。

 

英語のスピーキングは運動、スポーツと一緒で、反復練習しか上達の道はないのだ。

そして

English is communication tool. 

英語はコミュニケーションのための道具だ

という言葉。英語は人と話すための道具であり、単語や文法を宝物のように貯めては大事にとっておいたりしても使わなければ意味がないのだ。

 

4)役に立った勉強法

役に立った勉強法。実はよく分からない。机に向かって書いて覚えたらり、文章にして説明したりすることで覚えるタイプではない。どちらかというと、実践で何度も使って覚える、体にしみこませるタイプだと思う。

 

なので勉強法といえば

・何度も新しく覚えた文法を話す。日常会話に取り入れる。

・独り言を英語にする

・ネイティブが話している言い回しを盗み聞きしてすぐ使う

・英語の文章を日常的に読む習慣をつける

(本や新聞だけではなく、英語のウェブサイトなど職探し、大学の課題の文献探し、ビザについての情報、看護師資格についての情報など 自分できちんと読んで理解する癖をつける。一番最初に見た時は全然分からなかった内容が繰り返し読んでいるうちにだんだんと自然に、理解しながら読んでいる自分に気づく。そうなった時点で好きそうな本を英語で読むともっと頭に入ってくる。)⇒だからパソコンも英語表記、携帯も英語表記周りにあるものすべてを英語表記にすること。

 

注: もちろん英語のテストIELTSやOET、大学の学期末のテストなどは上記の方法だけでは覚えられないので、テストのコツを知らなければならないのと、後は、ひたすら書いて書いて書きまくり、頭の中で説明を繰り返ししながら覚えた。

5)学んだ事

失敗あって学びあり。

よくゆうもんで、失敗があって、恥をかいて初めて気づくことが沢山あった。

言葉の壁はきっとこれから先もずっと付きまとうもので、何十年たっても、きっと一生英語でもどかしい思いをするんだと思う。

でも、そういう思いするからこそ もっと知りたい、次のレベルへ行きたいという活力がわいてくるのかな と思う。

 

この記事をよんで、

同じ様に思っているひとの少しでも励みになればいいなーと思う

 

では

 

See you soon and have a wonderful day!