有言実行を掲げる国際看護師みーやんのblog

英語力0から始めた国際人への奮闘 オーストラリアで看護師になるまでの波乱万丈の旅路と日常 をえがく

看護師のガッツfeelingについて

Hello Everyone! みなさんこんにちは!

有言実行を掲げる国際看護師ことみーやんです。

 

初めての方も、常連さんの方もWelcome Welcome!

 

今日は早速本題に。

 

タイトル通り、看護師のガッツfeelingについて

看護師として、「あ, この人もしかしたら 急変するかも。。。」「この人 なんかおかしいからちょっと目を光らせておこう。。。」

なんだか物理的、科学的に説明できないけどすごく嫌な予感がする。。そんな感じ。経験ありますか?

 

もちろん客観的な数字バイタルサインなどが異常、もしくは、分かりやすい症状が出ている場合だったら、いいんだけど

 

いつもそうなわけではない。

そんな時に感じるのがこの直感的な胸を苛まされるかんじ。。。

 

ある勤務でそれを感じたので忘れないようにここに記しておきい。

 

実は検査や治療の進め方って本当に医師や看護師の主観によってかなり変わってしまう。

だから私は自分の先入観や主観を取り払って 対応するように心がけている

救命センターでは、色々なデータ、症状と医学的根拠を照らし合わせて、検査、治療をすすめていくのだが、最終決定をするのは医師の判断で、もしその医師が例えばCT検査をしないというのなら、それが決定だし、看護師が勝手にオーダーすることはできないわけ。でも、救命の看護師としての一つの役割はその患者の症状を客観的に見てその異常をいち早く見つけ、医師に報告。検査などを早めに提案たり、聞いたりしてオーダーを出してもらうわけ。

だから看護師が患者さんの一番ちかくにいる代弁者であるっていつも私は思って対応している。

 

しかし、個人の先入観や主観を優先してしまうことで、その異常や症状を見逃してしまうことがある。例えば、いつも来る腰痛を主訴に来る患者がいたとする。その人はいつも同じ理由で救命に来ては強い麻薬系の鎮痛剤を投与してもらって帰っていくとする。そこで生まれる医師、看護師の先入観...「この人はDrug seekingしてる?(薬が欲しいだけ?)」が芽生える。鎮静剤の選び方にも慎重になるかもしれない。そこで問題なのは、もしそこで何か違う理由、実はもっと重篤な理由で腰痛が起きていたとしたら。。その自分の先入観でこの人は薬が欲しいだけっと思い込んで、必要な検査をしないことで、その実際の痛みの原因を見落としてしまう、もしくは、発見するのが遅れてしまうかもしれない。

 

だから私たち医療者は自分の主観、先入観を捨てて、その人の症状、目見える数字、その生活背景や家族、病歴、飲んでいる薬などを総合的にアセスメントしなければならないわけだ。

 

また、医師の決定権、診療のスタイルはホント様々で、十分すぎるくらい検査をするひとと、大丈夫かな?と看護師が不安になるくらいあまり検査をせずそのまま帰してしまう医師もいたり、もちろん、総合的に判断してスッポットオンな医者もいる。

 

だから、患者さんの症状、アセスメントをどうやってコミュニケーションをとるのがその医者にとって効果的、どうやって介入していくのが診療をスムーズに行えるのか考えながら医者にアプローチしていくのも大事な看護師の役目。

(気難しい医者はうちにはあまりいないけど、あまり出しゃばりすぎもよくないからね。。。)

 

だからこそ医者と看護師の関係性ってすごく大事で、医師がどんなスタイルの診療をするのか、コミュニケーションスタイル、性格など理解しているとスムーズに行くわけだ。(もちろん医師からしても同じだろう。新人の看護師やその看護師の性格によってアプローチの仕方をかえるかもしれない)

 

この考えされる事が起きたひは、新しい医師が勤務しており、その人のスタイルを探りながら進めていた。

そんなとき、腹痛できたある患者さん。。どうしても気になって何度も何度もバイタルを測ってはベットサイドに行き確認を繰り返していた。そう。このガッツfeeling?なんか胸騒ぎがする感じ。しかもそれを感じていたのは私だけではなく、リーダーをしていた看護師も同じだった。腹痛はそれほどない、患者は痛み止めがいらないという。と言っているにもかかわらず、なかなか血圧が上がってこない。患者の顔色もすごく蒼白で。。。通常ならすぐにCTを取るところ。

 

医師になんども血圧が上がってこないことと、顔色も優れないことを報告するが、血液検査が正常だったし、痛みも和らいでいるからいらないと・・・脱水だから血圧が上がってこないんだと補液を続けると。。

徐々に血圧はあがってきたものの、なぜかさわさわする感じが絶えず、観察と報告を繰り返していた。結局、CTをとることになり、重篤な疾患を発見して大きな病院に転送することになったのだが。。。

 

もし、自分がもっと早く、もっと医者に強くアピールしていたらと。。。考えては

後悔の念に苛まれる。

Won’t we have CT abdo ? と私が何度か聞くものだら、"Why do you think the patient needs CT? The blood tests are all normal and abdo pain is getting better. He is just dry. Just give him sandwiches and see if he tolerates them... " といった医者。えこんな人に、とくに腹痛で来てるひとにCTもしないでサンドウィッチをあげるの??と内心で思っても医者には言えなかった。なぜCTをとらないのかと きちんと納得いくまで聞くべきであった。。なぜCTが必要なのかと聞かれたとき、自分の直感を信じて強く上申することができなかった。

 

そこでなぜなのかと考えてみた。

たぶん私は医師という肩書に弱いのだ。医者だから、自分より偉い(というか知識がうえ、身分が上?)という気持ちから、これ以上言ったらCross the boundary...?身の上をわきまえるべき?だと思ってしまったのだ。得に長年日本で看護師をしていた自分はにほんの 医師ー看護師間の上下関係に慣れているし、その感覚で接することが多い。でもオーストラリアはけっこう人にもよるが、看護師の発言権もしっかり周知されていたりするのだから、もしかしたら文化的な要素もあるのかも?

あと、自分の自己肯定感。ここは100%影響してくる。

 

でも、結局なにが起こったかって、

結局は自分の直感が正しかったわけで。

もしかしたら、自分がうまくアピールしていたら早期発見できたのではないか。。。

 

そこで学んだこと。

  • 自分の看護師としての直感を信じる
  • 自分の経験や知識を信じる
  • 看護師は患者に一番近い存在でその人を代弁できる立場にいることを忘れない
  • どんなに立場的に上の人でも、命を扱う現場に上下関係はない
  • 可能であれば、他の医師に相談してもいいだろう(今回は勤務していた両方の医師が新しい人だったためできなかった)
  • リーダを使う

 

そして、一番と言ってもいいくらい大事なこと。記録をする。

もちろん医師も看護師も人間で、考え方も違えば、やり方も違う。どんなにアピールしても決定権は医師にあり、変えられないこともあるだろう。かならず記録する。このようにアセスメントして医師に報告した

でも取次いでもらえなかったらそれを記録する。(もちろん客観的事実のみ)

今回の事件で出てきた自分の強みも沢山あるのにそれをなかなか出せていない自分にも気づいた。


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これをいい学びと思い

次はどんなことが起きても、患者さんを代弁できる看護師になりたい。ってかなる!

 

では

 

See you and have a wonderful day!