有言実行を掲げる国際看護師みーやんのblog

英語力0から始めた国際人への奮闘 オーストラリアで看護師になるまでの波乱万丈の旅路と日常 をえがく

はじめまして オーストラリアで救命看護師として奮闘中のみーやんです🦸‍♀️

Hello everyone!!!
So excited to start !


まず、このページに足を踏み入れてくれた皆さんありがとうございます!

ここでは海外で自分のやりたいことを見つけたい、留学したいけどどうしようと思うっている方、海外で看護師を目指す皆さんに「あ!これ聞きたかった!」やリアルな現実をポジティブに発信して、留学や海外、海外で看護師をするということがもっと身近なものとして皆さんにお届けしていきたいと思っています。

まず、なぜこのブログをはじめようと思ったか?を簡単に。
皆さん運命の出会いって信じます?

私 信じます!

この人がいなかったら今のここでブログを書いている自分はいない!と言っても過言ではない!

その出会いはひょんなことから聞き始めたポッドキャスト、Emiko Rasmussen
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Her Confidence Her Way 。すごくポジティブマインドで、人を動かすことのできる力強いトークが心に響く特徴的なボイスに惹かれ、この人ともっともっと繋がりたいと思い色々とフォローし続けていくうちに、私の強みってなんだろう?何かこの強みを使って誰かのお手伝いができないだろうかと考えたのです。

私の強みってこの、誰かのお手伝いをしたいっていうpassion!そしてそこからくる看護へのpassion!
今まで挑戦から挫折まで波乱万丈の経験は誰かの挑戦の糧になれば!と思ったんです。

だからこのブログはリアルな自分を赤裸々に発信していきたいと思います。
気軽にコメント、質問してもらえたら嬉しいです。

まずは皆さんに私のことを知ってもらおうかな。


1984年 岩手の田舎に生まれる 二人姉妹の末っ子として育つ。

1990年 幼少時代は雪山に囲まれてすくすくと育つ。

1999年 中学高校はとっても平凡。でもこのころから看護師になりたいってなぜか思っていた。ちなみに英語は不得意であった。

2000年 両親の反対を押し切って、”早く自立した女になる!”という気持ちを胸に18歳の時東京の某都立看護専門学校に進学。

2003年 寮生活、池袋の居酒屋のアルバイトををしながら看護師を目指し勉強に、合コンにと人生を楽しむ。

2004年 ついに卒業、国家試験にも無事合格!都内の某高度救命救急センターで新卒として仕事を開始(海外ドラマのERにあこがれてw)

2009年 おっちょこちょいでなかなか人より時間がかかり色々苦労してが、地道に経験を積む。重症治療、救急医療の知識、看護ケア、心のケア、看護指導、初療/トリアージの看護を学び5年目で退職。



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2009年秋 カナダのウィスラーという北米でも名高いスキー/スノーボードの聖地で英語0から、英語の勉強を開始…と言いつつ スノーボードをしながら英語の勉強ができる(日本人も少なそう)という事がまずこの場所を選んだ第一の理由。適当ですねw



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2010年  スノーボードに飲み会に明け暮れていた自分に鞭をうち、ウィスラーでの英語学校(ESL)を三か月で終了し、バンクーバーにある同じ系列の語学学校にて中級レベルを集中的に勉強するため移動。英語に集中するためバイトなしで貧乏な生活をすごす。



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2010年夏 バンクーバーの語学学校のアカデミック英語コースを完了し卒業。ロッキー山脈地帯にある国立公園に指定されているバンフに移動。カナダの避暑地で”働きながら生きた英語を学ぶ”というワーク経験ができるプログラムを取り、ホテルのハウスキーピングの仕事をしながら英語力を伸ばす。大体通常会話が問題なくなるまでになる。



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2010年冬 度々の失敗を元に、自力でバンフのスキーリゾートでのレストラン/キャッシャーの仕事をゲット。またまたスノーボードをただで楽しみながら英語環境で仕事ができるというおいしい環境で夢のような生活をおくる。



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2011年春 スキーリゾートのシーズンが終わりバンフから夏の避暑地で有名なケローナという街に移動する。ひょんなことから、泊まっていたバックパッカー宿から仕事のオファーをいただきただで住まわせてもらう代わりに、運営業のチームに参加することになる。



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2011年秋 二年のビザをの終了を機に、この留学中にためた全額を使い、”カナダで出会った友人を訪問する”というテーマ日本の帰国前に2か月ヨーロッパへ放浪の旅にでる。 



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2012年冬 日本に帰国後、英語力が落ちていく不安と日本社会のこうあるべきという概念と自分価値観の違いに悩む日々を過ごす。その末やはり自分は海外で生きていくのが合っているという結論を迎え、夜勤専門の看護師として東京都内にある某総合病院の外科で働きながら、英会話学校の受付のアルバイトの仕事を英語環境を作るための仕事をする。


2013年冬 北半球の日本から南半球のオーストラリアへワーキングホリデービザで留学開始。看護留学専門のエージェント利用し看護助手として働きだす。


2014年  ダーウィン、カナナラでの、3か月のタイル張りの仕事ファームジョブウーフを終え、セカンドワーキングホリデーのビザを取得。



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2015年  シドニーで大学進学コースでアカデミック英語を学んだ後、看護大学に進学。老人ホームや在宅での看護助手アルバイトをしながら、シェアハウスの管理をして節約しながら生活費を稼ぐ。

2017年  数ある論文や、テスト実習を経て、無事大学卒業。が、看護師の免許に必要な英語の試験に落ちまくり苦しい日々を過ごす。6か月のもう勉強の末、無事OET(Occupational English Testing) という医療系専門職別の英語テストで必要レベルのスコアを取得し、オーストラリアの正看護師資格取得。そして軍人である今の旦那に出会う

2018年  看護師として病院勤務がしたいという熱烈な信念を元に就職活動をし、ラッキーなことに、シドニー某救命センターの正社員の仕事をゲットする。しかし、自分の英語力や医療英語の不慣れ、未熟さから挫折を経験。



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2019年  徐々に救命に慣れてきた頃に今の旦那が軍の異動を命じられ、彼に他の州への一緒に来ないかと言われる。シドニーの救命を一年で辞め、彼とともにブリズベンの近くにある街6年間慣れ親しんだシドニーや友達を後に移動。無事近所の私立の総合病院パート枠で看護師として働きだす。そして今の旦那にプロポーズされる。    



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2020年  数か月のパートタイム枠から正式にその救命センターで正社員で働きだす。現在もその小規模救命で最高のチームとともに日々成長中!そしてコロナのパンデミック中に国際結婚成立




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こんな感じでしょうか。長くなってしまいましたが個々のキーワードについてどんどん情報を発信していきたいと思っているので 読んでもらえると嬉しいです!


それでは、See you soon! Have a wonderful day!
またお会いしましょう!