有言実行を掲げる国際看護師みーやんのblog

英語力0から始めた国際人への奮闘 オーストラリアで看護師になるまでの波乱万丈の旅路と日常 をえがく

オーストラリアの延命治療の傾向を考える

Hello everyone! How are you doing?

 

皆さんこんちは!有言実行を掲げる国際看護師のみーやんです!

 

先週のblogで日本の看護経験の必要性についておはなししたのだが、

今回はそれにちなんで

日本の看護観 、医療の実際とオーストラリアのそれらと違いを感じた時の事。


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それはもうたくさん 色々なところで日本の「普通」が覆される経験

 

いままで、様々な形でオーストラリアの救命の実際や精神疾患について

また、日本の看護についてブログでお話しているので、

気になる方は是非

 

 

nurses-words-and-actions.hatenablog.com

 

 

nurses-words-and-actions.hatenablog.com

 

はてさて、私がどんなことで違いを感じるのか。。。だが、

身体抑制について

インフォームドコンセントについて

帝王切開について

老人ホームについて

術後管理について

麻薬系鎮痛剤の使用について

吸引について

と、まだまだ出したらきりがない中で今回は

 

延命治療について

お話したい。

初めてオーストラリアで延命治療について考えさせられたのが私がオーストラリアの実習中に出会った案件である。

当時、最終学期にいた私は、某病院の心臓血管ICUなるところで5週間実習をしていた。
その病院は教育にも力を入れていて、シドニー周辺でもトップにあたる病院であった。

 

私の受け持った患者さんAさんは開胸手術をしてその日に鎮静剤を切り、意識がもどったら抜管(呼吸を助ける管を抜く)という予定であった。

しかし、その患者さんは鎮静剤を切った後、十分な時間たっても抜管できるほど意識が上がってこず、その日に抜管は難しいという判断が下された。

 

意識障害が遷延する理由にも沢山あるが、例えば、心配停止状態から心肺蘇生法によって心臓のリズムは取り戻したものの、心肺停止時間が長すぎたことによって、脳に十分な酸素が送られないことによって 意識や、呼吸、理解をつかさどるエリアに障害が起こり、意識障害が遷延する場合。

また、腎機能や肝機能が悪く鎮静剤を体内から排出できず 遷延している可能性。

開胸手術時 人工心肺や抗凝固剤の副作用からなんらかの合併症を脳神経機能起こしている場合などなど色々あるのだが。

この患者さんはこの第三者のケースであった。

 

ここで、日本の医療、看護の知識は10年前で止まっているのでもしかしたら変わっていることも多々あるかもしれないが

当時の知識から考えると、

抜管できる条件は色々あるが、意識レベルが上がらない理由で抜管できない患者さんがいたとする、

大体そのような患者さんは

鎮静剤を切ってからある程度の期間意識の確認をして意識障害が遷延しているようであれば 気管切開をし、呼吸器管理をする。(脳死の場合は別)

ゆっくり呼吸器離脱できるように介入していく

呼吸器離脱できたとしても意識がないので痰を喀出できない

定期的な吸引が必要になる

意識が完全に戻らない患者は、口から食べることができないので

経鼻栄養。長期になるならば胃ろう増設

排泄はすべておむつ

そうやっていわゆる植物状態と言われる患者さんは

あるとあらゆる方法でその状態を保持する。

だからそのような状態の患者さんはとても高度なケアが必要

寝たきりなので、体位交換をしないと褥瘡だってできる

肺炎や無気肺にだってなるリスクは高い

口腔ケアをしなければ歯周病やそれが肺炎にもつながる

おむつを頻繁に変えなければ感染や褥瘡の原因になるし 皮膚のただれなどの原因になる

けい管栄養、胃ろう栄養をしなければ 栄養失調、脱水 様々な合併症を引き起こす。

このようなハイケアな患者さんが日本には沢山いて

老養型病院や老人ホームに入りきらなくなるほどなのだ

 

さて、日本で看護師をしているみなさん

これらの事が延命治療だと考える?

 

延命と聞いてどこからどこまでが延命なのか

日本での感覚とオーストラリアでの感覚が全く違うことに気が付いた。

結果から言うとオーストラリアではほぼ延命目的の二次的な医療介入(胃ろう増設、気管切開など)はしない。

 

ではどこから日本の延命の考え方がきているのか?

この上記のような介入は当たり前のようにされていて

人間の尊厳を守るためには必要なものだという概念があるからなのではないかな。

マズローの欲求の一番下に来るものを 生理的欲求を日本の医療では あって当然、それを医療技術、看護技術の介入で与えることは当たり前と習ってきたと思う。


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では、それ以外の欲求を満たされない状態で生きながらえることで生活の質は保たれるのか? 生きる意味はあるのか? 

意識がない状態で すべての行為をほかに頼らなければならない 

頭で考えて行動すること、触って感じること、会話を楽しむこと、親として、配偶者として、社会の一員として、学生として、、、様々な役割を通して得られるものを感じること、自分の夢を達成すること、野望を秘めること

この上位すべての欲求をすべて無視した状態で生きることに どんな意味があるのか?

 

延命と聞いて、自分も含めて

心臓停止したときに心肺蘇生法をするかしないか

そのほかの侵襲的な医療介入をするかどうか

挿管するのか

などにとどまって考えがちだが

実はそれ以外、私たちがあって当然と信じて介入してきたことが延命の一部であること をオーストラリアで改めて実感した。

 

患者Aさんに何が起こったかというと

医療者は家族に対し、どのような状態で抜管ができるか説明。それができなかった時、どのようなプロセスを踏むのか、選択肢、その選択肢の利点と欠点を含め家族に説明。

もちろんAさんは意識がないので自分の意思を言えない状態にある。

そこで決まったもの

それが

「意識障害が後遺症として残る可能性が高く、どこまで回復するかどこまで介護が必要になるか分からない、その状態でもこれ以上苦しみを与えたくない、延命はしたくない」

という家族の要望から

意識障害がある状態で抜管をすることになった。

もし抜管してまた呼吸状態が悪化したら挿管(呼吸を助ける管を気管に入れる)はしたくないという家族の方針が決まった。

 

 

日本では一度挿管したら、意識障害がある患者に抜管をすることは 故意に死をもたらす行為としてとらえられたら違法行為。たとえ患者自身が尊厳をもって死にたいといってもそれが認められない日本の感覚いたので、「故意に死をもたらす可能性のある行為」自体が違法、倫理に反することだと思っていた。

なので、再挿管の可能性の高い状況で抜管すること自体ができること自体に驚いた。

 

この境界線はすごく難しいところで

家族や、医療者の説明によっても変わってくることかもしれないが

 

安楽死(euthanasia) 尊厳死(death with dignity) という所とも深くかかわる事だと思う。

安楽死の定義は

または動物に苦痛を与えずに死に至らせることである。一般的に、終末期患者に対する医療上の処遇を意味して表現される。

安楽死が認められている国や、地域は少なく オーストラリアでは認められていない。

 

  尊厳死の定義は

人間が人間としての尊厳 (dignity) を保って死に臨むことであり、インフォームドコンセントのひとつとされる。

末期がん患者など治癒の見込みのない人々が、クオリティ・オブ・ライフ (quality of life, QOL) と尊厳を保ちつつ最期の時を過ごすための医療がターミナルケアend-of-life care、終末期医療)である。QOLを保つための手段として、胃瘻の除去、苦痛から解放されるためにペインコントロール技術の積極的活用が挙げられる。無意味な延命行為の拒否 (DNR) については、実際に死を迎える段階では意識を失っている可能性が高いため、事前に延命行為の是非に関して宣言するリビング・ウィル (living will) が有効な手段とされる。

 

としており、様々な国で尊厳死を認める法律がある。オーストラリアでも同じで、患者本人が意思決定をできる状態の時に限られ、このliving will DNARの決定を生前にすることができる。

 

しかし、日本にはその法律がないため、国民的な支持はあるものの、家族から医療者が訴えられたりすることがある。

 

もちろんオーストラリアでもそれらの問題がないわけではなが、一般的に、患者本人に意思決定がある。かならずインフォームドコンセントをするという概念がいきわたっている気がする。なので 尊厳死という意味では当たり前のように行われている。

 

このAさんのケースは本人の意識がない状態なので 家族がその決断をしているわけだが 延命をしないという決定が自然に なされいるし、医療者がわもそれが前提で話をしている気がする。

 

どっちが良いとか悪いとかはない

それぞれの意思決定が反映されるかどうかが大事だと思う。

日本の延命処置、家族に長く生きていてほしいという願いがあるのは当たり前の事だとも思うし、宗教的背景もあるのかなとも思う。

 

このように、宗教的背景も違えば、法律も違う、また、社会でどう受け止められるかも全く違うので国ごとに違うのでとても興味深いテーマかなと思う。

 

こんな風に日本と違った視点で色々な医療現場を見ることができるのは、海外で看護師をしている一つの醍醐味だと思う。

 

それでは!

 

See you soon and have a wonderful day!